福岡 太宰府天満宮

太宰府天満宮とは?

「学問の神様と言えば?」と聞けば、きっと誰もが「菅原道真」と答えるでしょう。
有名な「太宰府天満宮」では、通称・天神様(菅原道真公)をお祀りしています。

 

参拝の前のお楽しみ

年間に約700万人が訪れるという太宰府天満宮は、境内に辿り着くまでの道のりにも見どころがあります。
大宰府天満宮に至るまでの情緒ある街並みを、少しご紹介しましょう。

 

太宰府駅からおりて太宰府天満宮まで歩いてゆく途中、大宰府名物の「梅ヶ枝餅」と甘酒を置いてあるお店があります。
美しい庭園を眺めながら、ゆっくりとお茶屋さんで過ごすひと時は、太宰府天満宮ならでは。

 

太宰府天満宮の特徴とは?

お腹も膨れたところで、太宰府天満宮の境内に足を踏み入れると、ものすごい数の絵馬にまずは目を奪われるでしょう。
このおびただしい数の絵馬、ほとんどが「学業成就」の内容なんですね。
太宰府天満宮では学問に関するお守りが所狭しと並んでおります。さすがは学問の神様ですね。

 

道真公が学問の神様と呼ばれるわけ

そもそも、なぜ、菅原道真公は学問の神様と呼ばれて、福岡の大宰府の地に祀られているのでしょう。

 

文献によれば、道真公は幼少期から学問の才能を発揮され、5歳のときに和歌を詠むなど、神童と称されました。
また、幼少期に作ったとされる漢詩も有名です。現代語訳された内容は、大変かわいらしいのですが、原文の格式の高さは必見。

 

その後、文武で名をはせた青年期を経て、激動の壮年期を迎えられます。
善政を行なったことで住民には慕われ、天皇からの信頼も厚かった道真公。生まれ持った才能をいかんなく発揮し、さらに努力を重ねることで、道真公は一流の学者・政治家・文人として活躍されたのです。
しかし、国家の発展に尽くされていたにもかかわらず、左大臣・藤原時平の政略により、身に覚えのない罪を着せられ、大宰府に突如左遷されることとなりました。

 

道真公は、失意の中でも誠に尽くされた晩年期を過ごされ、ご家族との十分な別れも許されないまま、故郷を遠く離れた大宰府で、静かにご生涯を閉じられました。
その後、朝廷で道真公の無実が証明され、大宰府の天満宮に祀られた道真公は、今もなお、多くの人々から尊敬の念を抱かれて続けているのです。